NBBA 被災地域復興支援視察報告

2013年7月に次いで2度目となる「東北被災地域復興支援視察」を、2015年3月5日(木)〜6日(金)にかけて行ないました。
視察の目的は、震災後4年という時間経過の中で、1)被災地の復興状況、2)仮設住宅住民の状況をしっかり理解することで、NBBAとしてどのような支援を行なうべきかを考えるためです。
尚、今回の視察は現地ボランティアの柳 希嘉子様ほか1名様にご案内いただきました。

1) 復興の状況について

東日本大震災の被害として、最大震度7の強い揺れによる広範囲な建物倒壊、そして東北地域の生活圏の内陸部まで押し寄せた甚大な津波等が広く知られております。
そのため復興への取組みは、どの被災地域でも共通して、いかに津波被害に強くかつ安心安全な生活圏を取り戻すかがテーマになっています。
しかし震災後4年が経過しようとする現在、訪れた我々には未だそのゴールイメージすら描くことができませんでした。ましてや地元でこの光景を4年間見続けながら仮暮らしを強いられている被災者の心中は、どのようなものなのでしょうか?復興は一体誰のためなのか…そう思わずにはいられません。

●陸前高田の現状

写真①
一見建設中のコンビナートのようにも見えるこの施設(写真①)は、写真奥の稜線の見える山の、手前にある120mの小山を切り崩し、被災した旧市街地に盛り土として運び込むベルトコンベアラインです。
陸前高田は、松林で知られた海岸を眼前に内陸まで拓けた市街地でしたが、その地形が災いし、震災時には津波が内陸部深くまで市街地を呑みこみました。その為、陸前高田は被災地の中でも多くの復興予算が投じられた地域の1つとなり、このベルトコンベアラインだけでも約280億円になるそうです。
「奇跡の一本松」は、前回では容易に近づけましたが、今はこのフェンスの奥を大きく迂回をしないと見には行けなくなっておりました。
写真②
写真②は、かつては旧市街地で現在、嵩上げが進む内陸部と、見切れていますが、右端から小さな林一つ隔てたところに、営業中の大型スーパーがありました。
震災時、奥の山の手前まで平地であったため津波被害は内陸部まで及びました。嵩上げの現状を見る限り、工事自体はかなり進んでいるように見えます。しかし「復興」に向かって進んでいるといえるのでしょうか?
嵩上げ後は、整備し大型スーパーや、現在高台にある病院を誘致し、市街地を形成するということです。しかしながら、嵩上げし施設建設に適した安定した地盤を築くのにあとどれだけの期間を要するのでしょうか?
現在の陸前高田市の人口は2万人ほどだそうです。高齢者、子供のある世帯、いったいどれだけの住民がこの「復興」を、これから先も我慢強く待つことになるのでしょうか?

●気仙沼の現状

写真③
一見すると、気仙沼の復興は陸前高田に比べ、進んでいるように感じました。
前回視察時は、まだ震災遺構として保存が議論されていた大型貨物船(内陸部にまで津波で運ばれた)も、今回は撤去されていました。
嵩上げは、町の区画ごとに進んでおり、堅実な工事に見えます。気仙沼港には多くの漁船が戻っており(写真③)、主要産業である水産関連の事業者は、補助も受けつつ事業を再開しています。また、1年8ヶ月前とは明らかに違い、建物も増加しており、港付近まで「人の生活」が感じられました。しかし、震災の傷跡が感じられる場所はまだまだ存在していおり、町と呼ぶには生活圏として復興しておらず、多くは生活を支えるための職場となっています。それでも人の息吹は感じられました。
写真④
写真④は、気仙沼港(写真③)の魚市場に隣接する、水産加工品を中心とした物販の店舗が1階に入っているビルです。2階部分との間に青い看板で浸水深が表示されています。前回は立ち入ることができなかった建物ですが、今は内外観ともに改修され、立派な売場面積を持っています。しかし客の姿はまばらでした。
水産業が復興しはじめ、水産加工業を中心に辛うじて職場を取り戻しつつあるとはいえ、気仙沼市で被災した方たちの生活が取り戻せているわけではありません。加えて2014年に入ってからはボランティア、復興支援含め観光客はめっきり減っているといいます。立派な土産物売場も、観光客が来なければ成りたちません。
写真⑤
写真⑤が、復興の工事現場か何かのように見えたとしたら、それは撮影者がそのように感じて写真に収めたからかもしれません。この建物は、「リアス・アーク美術館」で、屋上からのエントランス部分が写されています。
気仙沼市赤岩牧沢という高台に建てられてから。20年以上が経過しております。創設の目的は「地域文化創造プロジェクト事業」で、企画展示室では2年前から常設展示として震災の記録写真、被災物(実物)、関連資料が展示されています。柳さんたちが展示室に入らなかったのは言うまでもありません。

2) 仮設住宅住民の方への取材

写真⑥


仮設住宅住民の皆さん
今回、現地ボランティア柳様のコーディネイトでお話を伺ったのは、リアス・アーク美術館の隣り(といっても高台なので一段下にあたるが)、市の屋内スポーツ施設の隣地を切り拓いた場所の「気仙沼市総合体育館仮設住宅」です。(写真⑥)

ここには、約80世帯が生活しているそうです。現在気仙沼市だけでもこのような仮設住宅は90団地あり、2,600以上の世帯が入居しています。(平成27年1月現在 気仙沼市調べ)
ひと口に仮設といっても様々です。比較的入居が早かったこの仮設住宅は、阪神淡路大震災時の資材の再利用であった為、断熱等の対策が全く施されておらず、冬場は寒さに夏場は湿気に苦しめられるそうです。買い物は、少しでも安い食料品や生活用品を購入するため高台を降り、荷物を抱えて坂道を登り降りしているということです。
また、別の仮設住宅地では、少し雨が降ると床下に水が入ってしまい、水はけの悪い場所があるといいます。

震災後5年目を前に、仮住まいから抜け出せた方もいる一方で、未だ落ち着いた生活に踏み出す糸口すら掴めないでいる被災者は多くいます。「せめて孫の近くならまだまだ1人で生活していける自信はあるんですが…」と復興住宅の抽選に参加するも3回挑んで未だ叶わない方、90歳を超える老母と息子とで入居し、仮設住宅から出るに出られない大きな不安を抱えている方、・・・それぞれに事情を抱えています。

気仙沼港で見た「復興の兆し」は、仮設住宅で生活する方々からすれば、自分たちの「復興」を感じるものとはなり得ないのだと思います。しかしそれでも陸前高田市とは違って「市街地」の幻影は見えたような気がしました。もう少し働く場が増えれば、外に出ている世代も戻ってくるのでは…とも考えられますが、宅地の価格は震災後の倍程になっているといいます。
また、海岸線は地元住民にとって生活の恵みをもたらし、さらには大切な観光資源であるといえますが、覆い隠し隔絶する巨大防潮堤の建設は、観光客減の不安に追い討ちをかけています。この不自由な生活を強いられた元凶は津波被害ですが、これを防ぐための施策が自分たちの思い描くごく日常の生活の「復興」に、どれ程の助けとなるのでしょうか?
誰のための「復興」か、この気仙沼でも答えは見つかりそうにありません。復興支援で何ができるのか…。取材を終えて帰り際、「お元気になさってください」そう声を掛けるのが精一杯でした。

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